MODE-ID |
---|
H: 並木橋からの上り坂を登っていくと、いきなり左側に大きな鳥居が現れます。鮮やかな朱色他、極採色の社殿がゴージャス。結構人通りが多い場所にあるけど境内に入るとやっぱり空気が違って落ち着くね。この八幡さんは“渋谷”という地名の由来となった“渋谷氏”が祀った彼ら氏族の鎮守で、渋谷氏はこの八幡を中心に居城を構えていたというから、まさに名実共に渋谷の産土といえる。
R: 渋谷氏というのは河崎土佐守基家という人が祖で、その息子重家の代にはじめて「渋谷」姓を名乗ることになったらしい。で、その基家の家系というのが、鎌倉時代以前に武蔵野一帯で発生した「坂東武者」坂東八平氏の一派「秩父党」の流れを汲む家系。また、金王八幡の「金王」というのは、渋谷一族のスターで重家の息子「金王丸」の名声にちなんだものというから、この八幡は根っから武勲の神といえる。
H: 実際、徳川の三代目将軍家光が幼かった頃、三代目将軍には家光の弟忠家が継ぐだろうとの噂がたったらしく、それを心配した家光の乳母、春日局と養育係りだった忠俊がこの八幡の武勲にあやかって、に祈願を重ねていたらしい。家光といえば、初代家康とともに徳川家300年の治世の基本システムを築いた名将、これはもう、渋谷一帯のテリトリーでキングと呼ばれたい奴はここに参拝に来なきゃ、って感じだね。
R: 御由緒書きによると、この八幡はもともと、さっきの基家のおじいさんに当たる秩父別當武基という人が源頼信から賜った軍用の八つの旗の内の「日と月」の2つの旗を秩父妙見山に祀ったんだけど、その「月の旗」をこの地に奉じたものらしい。この辺りを探ってみるともっと面白いネタがでてくるかもよ。八幡は「ハチマン」だけど「ヤハタ」とも読む。ヤハタは「八流の旗」とも重なり、應神天皇の神話の中にも「八流の旗」というエピソードが出てくる。先の軍用の八つの旗というのはこのエピソードにあやかったものだと思うけど...
H: そのうちの「日と月」の2つの旗を妙見山に祭ったっというのはどういうことだ??? 他の6つの旗は何だったんだ?? で、なんで渋谷が「月」の加護を得た場所なんだ? よーわからん...
★アクセス
- 渋谷区渋谷3丁目5−12
→東急文化会館前から明治通りを恵比寿方面に向かい、労金の脇を左折し直進。渋谷駅から徒歩約10分。★建立時期
- 寛治6年(1092年)
★祭 神
- 應神天皇(品陀和氣命 ホンダワケノミコト)
★末 社
- 玉造稻荷社
- 御嶽社
- 豊栄稻荷神社